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AKB48もうひとりのエース大島優子さん30歳で見つけた答えとは?
AKB48が全盛期といわれていた時期のエースは前田敦子さんと大島優子さんですよね。前田敦子さんは結婚、出産をしてからもますます活躍されています。一方、大島優子さんは年齢が30歳になり今までと違う答えがみつかったそうです。30歳で見つけた答えとは?どんな答えなのでしょうか?
AKBじゃない自分は何者なのか―大島優子、30歳で見つけた答え
Yahoo!ニュース2018/12/11(火) 7:00 配信記事より引用
20代最後の1年をアメリカで過ごし、10月に30歳を迎えた大島優子。2014年にAKB48を卒業後、女優業に専念するなかで、「AKB48じゃない大島優子は何者なのか」「女優としてどう表現していけばいいか」、迷いを抱えていたという。1年の海外生活を経て、再発見した自分とは。(取材・文:城リユア/撮影:藤原江理奈/Yahoo!ニュース 特集編集部)
(文中敬称略)
なぜ、アメリカに旅立ったのか
「戻ってきたときに、自分の居場所はないかもしれないとも思いました。でもその恐怖よりも、新しい環境に飛び込んだ自分に会いたい気持ちの方が勝ったんです」
2014年にAKB48を卒業した後、女優業に専念してきた。2015年には映画『紙の月』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。舞台やドラマにも出演を重ね、ステップアップしていこうというとき、突然アメリカへ。2017年夏、「ニューヨークへ留学する」「本場のエンタメを学ぶ」と報じられた。
「留学先はニューヨークではないんですよ。ダンスや演技など、エンターテインメントを勉強しに行ったわけでもなく、語学留学なんです。留学先ではカレッジに通い、英語漬けの毎日を送っていました。大量に出される宿題を家でこなしていたから、一人しか現地の友だちをつくれなかったくらい(笑)」
なぜ、アメリカに旅立ったのか。
「『AKB48じゃない大島優子って、いったい何者なのか?』『自分がどういう人間で、女優としてどう表現すればいいか』、分からなくなっていたんです。だから、スタッフもファンの方も誰もいない海外で、一人でチャレンジして、自分はこういう人間だって言えるようになりたいと思いました。もっと英語も話せるようになりたくて」
「自分は誰なのか?」という問いに向き合う場面は、留学中にたびたび訪れた。
「例えばクラスメートの前などで、自己紹介を求められる機会が多かったんです。『あなたは誰?』『あなたは自分がどういう人間だと思う?』と、質問攻め。『元AKB48』とか『女優』ということは誰にも言わなかったんです。すると何を答えていいのか、やっぱり分からない。自分の取りえは何なんだろう、と悩みましたね」
あるとき、現地でお世話になっている人から、その答えを教えられたという。「みんなを笑顔にできるところ、場を明るく変えられるところが、君の魅力じゃない?」と。
「その言葉を聞いたとき、素直に『あ、それ、すごく好きなことかもしれない』と思えたんです。確かにアイドル時代、ファンの方々もそんなふうに言ってくれていたな、と。アメリカに来てようやく、大島優子という人間はみんなを笑顔にすることが好きで、それが私なんだって、初めておなかの真ん中にストンと落ちました」
自分は望まれていない存在だと思って
7歳から子役を始めた大島の芸歴は、今年で23年。人生の大半を芸能界で生きてきた。アメリカでは「芸能人の大島優子」を久しぶりに離れて過ごし、自分を再発見することができたようだ。
そもそも芸能活動のきっかけは、家族の勧めだった。テレビドラマなどに出演したが、芽は出なかった。
「ドラマに年に1、2回、小さな役で出ていましたね。たぶん才能がないんだな、私はこの世界にいない方がいいのかもしれないって思っていました。望まれていない存在だと。高校生のときは本当に辞めようとしていたんです。進路を考えるころだったし、社会福祉系の学校に進もうかと」
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