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本当にあったら怖い話し『トゥルーマン・ショー』

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本当にあったら怖い話し『トゥルーマン・ショー』

あまり書くと映画のネタバレになってしまって詳しくは書けませんが…映画冒頭の「役者の演じる偽物の感情はうんざりなんだ」から始まり映画を観ている側は「作り物」ってことが解っていて物語が進んでいく。知らないのは主人公トゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)のみ。ジム・キャリーの爽やかな笑顔がまた…ここから先は本編をご覧下さい。

真実は隠蔽されている!『トゥルーマン・ショー』と、たくらみに満ちた世界

CINEMORE 2019.05.07配信記事より引用

なぜ『トゥルーマン・ショー』はアメリカ的なのか


映画『トゥルーマン・ショー』(98)は、90年代に全世界的な広がりを見せたリアリティ・ショー文化をアイロニカルにとらえた作品という文脈で受容されている。日本であれば、テレビ番組『進め! 電波少年』(92〜)に代表される、それまで誰も存在を知らなかった一般人(あるいは、知名度が一般人とあまり変わらないタレント)が毎週テレビに登場し、番組を通じて有名になっていく過程がそれに該当する。

「有名であることによってのみ有名であるような、徹頭徹尾普通の人々」(スラヴォイ・ジジェク)*1という新しい存在。いまとなっては当たり前であるこの現象が、世間に大きく広まった90年代を象徴するフィルムが『トゥルーマン・ショー』だが、この作品を理解する手がかりは「リアリティ・ショー文化」だけなのだろうか。

『トゥルーマン・ショー』は、テレビ番組が精巧に作り上げた虚構世界に暮らす男、トゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)の物語だ。彼の人生は、誕生の瞬間からすべてが撮影され、番組として世界中に放送されつづけていた。トゥルーマン本人は、この世界が虚構であることを知らない。彼の住む家や町は巨大なセットである。屋根のついたドーム状の大型建造物は万里の長城にも匹敵する大きさで、太陽や月、雨や雷に至るまでが機械で操作可能。トゥルーマンにとっては、この建造物の内側に作られた巨大セットこそが全世界だ。

さらには、セット内で暮らすトゥルーマン以外の人物はみな俳優として、脚本に沿って演技する存在である。トゥルーマンは、この虚構を現実と信じて暮らしていたが、いくつかのきっかけから疑いを抱き始める。

『トゥルーマン・ショー』と地球平面説者


『トゥルーマン・ショー』は、リアリティ・ショーの世界を描くと同時に、アメリカに広く見られる現象である「陰謀論」を主題とする。筆者がこうしたテーマの連なりを理解できたのは、Netflixのドキュメンタリー『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』がきっかけであった。同作は「地球は丸くない、平らだ」と主張する人々を取材しているのだが、地球平面説の提唱者である男性が「地球が平面であるとはどのような状態か」を説明する際に例として挙げていたのが、『トゥルーマン・ショー』に登場するドーム状の建造物であった。両者は似ていると男性は言う。「もし、映画に出てくるあのセットが何千キロという規模だったら、どれだけの人をだませると思う?」。

 

地球平面説者によれば、平らな地球は料理を運ぶトレーのような形をしており、上にはドーム状の蓋がしてあるのだという。海をまっすぐに進んでいけば、やがて世界の端(それ以上進むと落ちてしまう場所で、氷の壁がある)につきあたる。ずいぶん豊かなイマジネーションだと感心するほかないが、こうした説明は、そのまま『トゥルーマン・ショー』の舞台設定、物語展開と同一である(なお『トゥルーマン・ショー』劇中74分目あたりに登場するドーム型建造物の縮小模型と、地球平面説者が作成した地球をかたどった模型は、完全に同一と言っていいほど相似している)。

「地球は平らである」という真実は、政府やNASAによって隠蔽されているのだと彼らは主張する。隠された真実を人びとに知らしめるため、地球平面論者は日々活動しているのだそうだ。いずれにせよ、彼らのたくましい想像力の醸成に『トゥルーマン・ショー』が一役買っていることは間違いないだろう。

使命感に駆られる陰謀論者


こうしたイメージの相似も興味深いが、より重要であるのは『トゥルーマン・ショー』が、陰謀論に特徴的な考え方、すなわち「この世界はたくらみを持った人間・権力によって操作されており、真実は隠蔽されている」「表面上は欺瞞的にふるまう個人・団体が、裏では陰謀に加担している」「ものごとに偶然はなく、あらゆる事象に理由があり、決まったパターンが存在する」などを物語として提示している点だ。

たとえば劇中、トゥルーマンが妻に奇妙な説明をする場面がある。「いまから何が起こるか予言する。まずは赤い自転車に乗った女性、そして花を持った男、最後にフェンダーのへこんだワーゲンが道を通るぞ」。これは道を歩く人びとがすべて役者であり、世界が虚構であると示す彼の根拠なのだが、こうした一見無意味な法則性や因果関係の発見は陰謀論者がもっとも得意とするところであり、すべてに連鎖や相関を見つけなければ気が済まない独特の性格を示している。

トゥルーマンが狂人扱いされるほど、陰謀論者はより共感が深まるだろう(「そうだ、真実を伝えようとすると頭がおかしいと思われるんだよな」というように)。「自分だけが真実から疎外されている、その真実を見つけなければならない」という陰謀論者特有の使命感が、トゥルーマンをつき動かしているのだ。

陰謀論を好むアメリカ


陰謀論は実にアメリカらしい現象である。『ファンタジーランド』(東洋経済新報社)の著者カート・アンダーセンは「どんなことにも意味と目的を見つけたがるプロテスタントの衝動と、啓蒙主義の経験論が混ざり合うと、あらゆる点と点を結びつけたがるアメリカ人の熱狂や、合理主義を装った非合理性が生まれる」*2と述べている。ケネディ暗殺、エリア51、アポロ計画(実は月に到達していない!?)等々……。「数多くの陰謀論を渡り歩いてきた」と語る地球平面説者が、『トゥルーマン・ショー』を愛好するのも理解できる。

むろん陰謀論はアメリカに限った現象ではないが、アメリカほどそれが多数の人びとに信じられた国はない。ゆえに『トゥルーマン・ショー』と並列して語るべき作品は、『エドtv』(99年作品。多額のギャラと引き換えに、リアリティ・ショーの主役として24時間の生活をすべて放送することに同意した男を描く。若きマシュー・マコノヒーが主演)ではなく、むしろテレビドラマ『X-ファイル』(93〜)や『メン・イン・ブラック』シリーズ(97〜)、あるいは『マトリックス』(99)なのではないか。『現代アメリカの陰謀論』(三交社)の著者マイケル・バーカンはこう述べる。「『だれも信じるな』がテレビ番組『X-ファイル』でいつも繰り返される呪文であるが、これには陰謀論者たちの際限のない疑念がみごとに集約されている」*3。

陰謀を見抜き、自分の直感を信じた男が、世界の真の姿へ到達する物語。考えてみれば、ジム・キャリーは『ナンバー23』(07年作品。世の中のすべての事象が「23」の数字に支配され、関連づけられていると発見する男を描く)という、これまた陰謀論的な映画にも主演している。アメリカらしい奔放な想像力と、あらゆる事実を過度に首尾一貫した理論で説明したがる姿勢が、陰謀論めいた怪しげなフィルムとなって提示されるとき、そこにいくぶんグロテスクな興奮があることは確かだ。

考えてみれば、『X-ファイル』『メン・イン・ブラック』『マトリックス』と、どれも個人的に大好きな映画ばかりである。アメリカらしい陰謀論のあり方をとらえた『トゥルーマン・ショー』もフェイバリットのひとつに挙げられるのだが、「真実は隠蔽されている!」と叫ぶのは、あくまでフィクションの中だけに留めておく必要がありそうだ。

【参考】

*1スラヴォイ・ジジェク『絶望する勇気 グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』(青土社)p321 引用部分は、キム・カーダシアン(カーダシアン一家)を評して述べた言葉。

*2カート・アンダーセン『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史(下)』(東洋経済新報社)p372

*3マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』(三交社)p13

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