高畑勲監督と言うとお節介オヤジが住んでいる地域を描いた映画があります。それは”平成狸合戦ぽんぽこ”。また子供の頃から高畑勲作品には沢山の感動をもらっていました。(母をたずねて三千里 他)宮崎駿監督とはまた違った感動をあたえて頂いたアニメ監督(作家)が亡くなってしまいました。残念でしかたありません。心よりご冥福をお祈りいたします。
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高畑勲氏が死去…昨年夏頃に体調崩し入退院を繰り返す
SANSPO.COM 2018.4.6 05:05配信記事より引用
宮崎駿監督(77)と並ぶ日本アニメーション界の巨匠で、ジブリ映画「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」などを監督した高畑勲氏が5日、東京都内の病院で死去した。82歳だった。
関係者によると、高畑監督は昨年の夏頃に体調を崩し、その後入退院を繰り返していた。心臓が悪かったという情報もある。昨年11月に高畑監督に会った別の関係者によると、以前よりも痩せていて、歩く時は体を支えられていたという。この関係者は「子供のような好奇心でキラキラした表情が印象的な人だが、元気がなく、全く違った人みたいだった」と話した。通夜、葬儀は近日中に営まれる。
高畑監督は東大卒業後の1959年に入社した東映動画(現・東映アニメーション)で宮崎監督と出会い、アニメ制作会社をともに移籍しながら、70年代にはテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」などを生み出した。85年に宮崎監督らとスタジオジブリを設立。「火垂るの墓」「ホーホケキョ となりの山田くん」などヒット作を次々と送り出した。人気は世界に広がり、2015年にはフランス芸術文化勲章のオフィシエを受章している。
徹底した取材によるリアルで自然な世界観に加え、「想像力が羽ばたく余地が生まれてこそアニメ」がモットー。こだわりが強く遅筆で、宮崎監督が「ナマケモノの子孫」と呼んだことも。「柳川堀割物語」は製作費を大幅にオーバーして話題になった。愛称は「パクさん」。食パンが好きで、東映時代にパクパク食べていたことから、宮崎監督やジブリの鈴木敏夫プロデューサー(69)が親しみを込めて呼んだ。
アニメ作りの情熱や姿勢は宮崎監督を始め、後進のアニメ関係者にも大きな影響を与えた。
高畑 勲(たかはた・いさお)
1935(昭和10)年10月29日生まれ。三重県出身。東大文学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)に入社。68年、映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」で長編監督デビュー。「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」などの演出を手掛けたほか、「じゃりン子チエ」などの監督を務める。84年、「風の谷のナウシカ」のプロデューサーを担当。85年、スタジオジブリの設立に参加。98年、紫綬褒章受章。
高畑監督作品の感動をもう一度!
母をたずねて三千里
2019年1月31日 23:59まで配信 ©NIPPON ANIMATION CO.,LTD.

見どころ
ほぼ原作に沿って、忠実に作られたエピソードの数々は、家族揃って楽しめること請け合い。丁寧に描かれたカナダの豊かな自然や、19世紀末の風習や暮らしぶりにも注目。
ストーリー
19世紀末のカナダ東岸の島で農園を営む兄妹に、孤児院から引き取られたアンは、空想することが大好きな赤毛の女の子。島で出会った親友のダイアナと一緒に、時にとんでもない失敗をしながら、元気いっぱいに遊び、学校に通い、多くのことを学んでいく。
ここがポイント!
作品の舞台となったプリンスエドワード島には、アンにちなんだ名所が多数存在する。
2019年1月31日 23:59まで配信 ©NIPPON ANIMATION CO.,LTD.

じゃりン子チエ
1981年 見放題
ウチは日本一不幸な少女や!なにわの元気娘と周囲の人々を描く大阪下町の人情劇。
見どころ
はるき悦巳の同名作品を原作に、大阪下町を舞台とした笑いと涙のホームコメディ。テツ役の西川のりおを始め関西芸人が多数出演、その熱演がはまっていて笑いを誘う。
ストーリー
ゲタバキの元気少女・竹本チエは、浪花の小学生。自由きままに生きる父親のテツはバクチに明け暮れ、母親のヨシ江も別居中。「ウチは日本一不幸な少女や」とぼやきつつ、テツをゲタでドツキながら、ネコの小鉄とともにホルモン焼き屋をきりもりしていく。
ここがポイント!
監督は「アルプスの少女ハイジ」「火垂るの墓」などで知られる名匠・高畑勲。キャラクター設定に小田部羊一などアニメ界の重鎮が参加。
2019年2月28日 23:59まで配信©はるき悦巳/家内工業舎・TMS