自分の事を考えてみると”いい人”に見られたいと思ってはいないつもりでも実は”いい人”に見られたいと思っているところがあるから人間関係で疲れたり、そこにストレスを感じたりするんでしょうね。この記事を読んで”楽”になりましょう!
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目次
そんなにいい人になんかになろうとしない方が楽になれます
性善説と性悪説
人の本性は善か悪かを2分するのが性善説と性悪説です。日本人はとかく性善説を当然であるかのような、またあるべきと思っている人が多いのです。そう思っていれば良い事をするのが当たり前のように感じられて自分の行いも律せられると言う訳です。しかしそれによって多少とも窮屈な思いもするものです。
お人好しはバカを見る
そして落とし穴となるのが、自分のそのような感覚が他人にも通じると思ってしまうところです。○○詐欺のような手口はこの日本人の性善説主義とでも言えるような感覚を上手に狙っているとも言えます。つまりそこに発生する被害者はただのお人好しとまでも言えるのです。性悪説が当然と思っていれば、まずは人を疑う事から始められたでしょう。人の思いもしない悪意に愕然としてしまわずに済んでいたかもしれません。
基準を下げると人が良く見える
性悪説の目線を持っていれば、何でも無い事でもとても好感が持てたりします。また自分が良い事をした時の充実感もより感じられたりも出来るのです。
あなたは十分いい人です
実際の自分を振り返ってみましょう。おそらく口の悪いところもあったでしょう。家庭内に少なからず不和があったりもするかもしれません。怒りっぽかったりおとなし過ぎたりとチェックをすれば悪い点が幾つも出て来たりもします。でもだから自分は出来そこないだなどと卑下する事も無いのです。人を見れば、人間は自分だけでなくみんなその程度のものと思えるところもあるでしょう。そんな人を笑いものにしながら自分も笑われているうちは、世間の中では十分いい人なのです。
まるで人格者のような人も
人物として優れているのを自負しているような人が良く叫びがちな事に政策の反対論争だとかもあります。一見すると立派な事を言っているようですが、考えの底が浅はかだったりもしがちです。いかにも自分の見栄えを良くしようとでもしているかのような嫌な気にさせられたりした事はないでしょうか。得てしてこう言う人が実は不祥事を起こしたりもしがちなのです。
悪い事もほどほどにするべきです
日本人は総じて真面目過ぎと言われます。
何でもガチガチに正論通り物事をこなそうとすれば、そこから必ずどこかに歪みが生じるものです。程良く手を抜いて楽をしてしまえば、その分は別の生産力ともなるのです。これを怠慢などとは思わなくても良いのです。人にも少なからず迷惑はかけなければ生きていけません。適当な嘘も確かに方便になります。人が受けられる幸せを人から奪って自分のものにしようとするのは、学校でも会社でも延々と続く競争の中にあります。タバコを吸うのも他人にも自分にも悪い影響しかないはずですが、それでも悪い事をしていると言うその表情にはどこか人間的なゆとりさえあるものです。そんなつまらない事をしているからこそ、いつも自分を立派にさせたいと心の中では思うようにも出来るのです。「性悪説は身を救う」とまではっきり言いたいものです。
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