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落ちた名門高校・・・これから先が心配

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池田野球部員 銭湯で盗撮 甲子園春夏3度優勝の名門

甲子園で春夏3度の優勝を誇る池田(徳島)の野球部員が徳島県内の銭湯で同校の女子生徒が着替える姿を盗撮していたことが15日、分かった。

関係者によると、今月初旬、男女の更衣場を隔てるロッカーの上から手を伸ばし、スマートフォンで撮影したという。同校は既に徳島県高野連などに報告を済ませ、盗撮した野球部員は謹慎処分を受け、野球部も練習を自粛していたもようだ。

池田は「やまびこ打線」の愛称で知られ、故蔦文也元監督の下で1970年代から80年代にかけて甲子園を沸かせた。14年には27年ぶりにセンバツに出場。今秋の県大会は2回戦で徳島北に敗れていた。

池田高校野球部員が盗撮 女子生徒を銭湯脱衣場で   2016/12/15 23:24 徳島新聞

池田高校の野球部員の男子生徒が三好市内の銭湯で、同校女子生徒が着替える姿を盗撮していたとして、学校から謹慎処分を受けていたことが14日、分かった。

学校関係者らによると、男子生徒は12月初めごろ、男女の脱衣場を隔てるロッカーの上から手を伸ばし、スマートフォンで撮影したという。これを受け、野球部は練習を自粛していたとみられる。

同校は県高野連と県教委に報告したが、全校集会や保護者会は開いていない。結城孝典校長は、徳島新聞の取材に対し「個人情報保護と生徒指導に関わることなので、野球部員が女子生徒を盗撮したこと以外は何も話せない」と話した。

野球部は甲子園で春夏合わせ、3度優勝している名門。

何かものすごい嫌な感じです。PL学園は暴力行為でしたがかつての名門といわれた高校がなくなってしまうのは残念。あっ!池田高校がなくなる訳ではないですね。

唐突ですが池田高校出身のプロ野球選手を振り返ってみましょう!

畠山 準(はたやま ひとし、1964年6月11日[1] – )は、徳島県小松島市出身[1]の元プロ野球選手外野手内野手投手)、野球解説者

「やまびこ打線」擁する池田高校のエース投手・主軸打者として甲子園優勝を果たす。プロ入り後は投手としては大成できなかったものの、打者転向後の横浜時代は思い切りのいい打撃で主軸打者として活躍した。愛称は「ハッチ」(横浜時代の当人の公式応援歌の歌詞から由来)、「ハタ坊

水野 雄仁(みずの かつひと、1965年9月3日 – )は、徳島県阿南市出身の元プロ野球選手投手)、野球解説者(所属事務所・エル・ファクトリー

1965年9月、阿南市宝田町の餡屋の息子として生まれる。1972年7月、阿南市立宝田小学校1年時に、少年野球チーム・宝田ダックスに入部。1976年、小学5年時から投手になる。阿南市立阿南第一中学校卒業。

池田高校時代は、1982年1983年全国高等学校野球選手権大会、1983年の選抜高等学校野球大会と3大会連続甲子園に出場。82年夏・83年春における史上4校目の「夏・春連続制覇」、1983年夏のベスト4進出の中心選手として活躍した。83年春・夏はエース・4番として出場、その風貌も相まって「阿波の金太郎」と呼ばれた。82年の夏の選手権では左翼手として出場、中軸を打ち、優勝に貢献した。荒木大輔を擁する早稲田実業学校との準々決勝では、終盤に満塁本塁打を放った。この試合で甲子園初登板も果している。翌83年夏は史上初の夏春夏の3連覇を目指して、全国大会に出場。準々決勝の中京戦での野中徹博との投手戦は、1980年代を代表する好ゲームとしてファンに記憶されている。準決勝では桑田真澄清原和博KKコンビ率いるPL学園に7対0で屈した。清原からは4三振を奪うも、桑田には左翼スタンドへの特大の本塁打を喫している(このときの桑田の本塁打が水野の甲子園での初被弾である)。1983年のプロ野球ドラフト会議1位で読売ジャイアンツに指名され入団。背番号は「31」となり、現役時代には背番号の変化はないままだった。1986年には一軍に定着して8勝をマーク。翌1987年には10勝をあげ、王監督初のリーグ優勝に貢献した。藤田元司長嶋茂雄両監督時代は中継ぎ、抑えとして活躍。オープン間もない東京ドームで開催された1988年のオールスターゲーム第3戦で、延長12回に代打として登場し、サヨナラ犠牲フライを放った。しかし、2年目に肩を痛め、9年目に右肘の遊離軟骨で苦しむなど常に怪我との戦いで1996年限りで一度引退した。1997年にはフジテレビスポーツ報知の解説者を務めた。同年秋、メジャーリーグでの現役復帰を目指して、ドミニカのウィンターリーグに参加し、日本人初の勝利投手となった。「現役時代の球速を少しずつ取り戻しつつある」などと言われもした[2]。翌1998年、サンディエゴ・パドレスのスプリング・キャンプに参加したがメジャー昇格はならず、正式に現役を引退し、帰国。その後は再びフジテレビ・ニッポン放送・スポーツ報知の解説者を務めた後、1999年、巨人に投手コーチとして復帰し、2001年退団。現在は日本テレビアール・エフ・ラジオ日本、スポーツ報知野球解説者。RFラジオ日本で月曜夜8時から放送中の『水野雄仁のGスタジアム』のMCを担当している。2007年より静岡県セイブ自動車学校のCMに出演している(静岡及び東海地区ローカル)。父親が静岡県出身で、さらに叔父が同校の教官(2016年現在、顧問)をしていることから起用された(CMでは「おじさん」と共演している)。2009年には第24回地方CM大賞に選ばれた。

その他に宮内(阪神)外野手 松村(横浜)投手 十川(巨人)投手がいます。

第二のPL学園野球部にならない様に祈っております。

 

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