生涯未婚率が過去から一番の数値が出てから色んな記事がネットを中心に書かれていますがこれはまた極端だなぁと思う記事があったので紹介させて頂きますね。

日本人はなぜやめた?って言われもね。

日本人はなぜやめた? アマゾンに残る夜這いの文化 南と北の性愛/恋愛格差―日本の生涯未婚率4人に1人を考える

人口の増減は、恋愛や性愛の行動様式と深く関係している。この4月発表の厚労省国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、大よそ男性の4人に1人、女性の7人に1人が生涯未婚であるという。婚外子も少ないのだから、日本の少子化の波は止まらない。2065年には人口は8808万人、15~64歳の生産年齢人口は4割減り、4529万人と予測される。

著者が住んだ南米のメディアでも「日本人は恋愛をしない、子供を産まない、結果老齢化と人口減少が進んでいる」とよく報道されていた。ラテンアメリカの友人は「なら、おれたちが移民して、助けてやるよ」と冗談ぽく言ったものだ。

一理あるかもしれない。都内の人口の自然増は外国人2456人、日本人は730人(2015年10月~16年9月)である。もしかしたら、女性が著しく多産だったアマゾンの小村にこそ、少子化を食い止めるヒントがあるかもしれない。日本の過去・現在との比較を交えて地球の裏側から報告する。


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ボリビア、アマゾンの小村が多産なわけ

80年代後半ボリビアは、日本の面積の3倍もあるのに、人口が600万台(80年代)しかなかった。2010年代には人口1000万人を越えたので年率2%強の増加となる。80年代の合計特殊出生率(一人の女性が生涯産む子供の数)は5を越えていた(現在3、日本は1.46)。ボリビア全体の数値なので筆者が滞在していたアマゾンはもっと多産だったに違いない。いくつか理由がある。

3人しか生き残らなかった

ボリビアのエボ・モラレス大統領は、自身の公式ホームページでこう語っている。
「兄弟は7人だったけど、そのうち3人が生き残った。他の兄弟は1歳か2歳で死んだ。それが農村に生きる家族や子供の宿命なんだ。半分以上は死ぬ。7人のうち、ぼくら3人は運よく生き残った」

ボリビアの80年代の乳児死亡率は10%前後とされるが、僻地ではずっと高かったのである。アマゾンの小村でもよく人が死んだ。仲良かった労働者の兄が列車から落下して死んだ。日系人の息子が川で溺れ死んだ。乳児たちは病気で簡単に死んだ。村人は総務部に属した筆者のところに、よく木材を求めにきた。棺桶を作るためだ。

運がよく、強いものだけが生き残る。だから子供は多いほうがよい。それは戦前の日本の女性が多産だったのと同じだ(1925年、大正15年 合計特殊出生率5.11)。

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陸の孤島

「なんで、あなたはお土産を置いておかなかったの!」

20数年を経て村に戻ると、40代前半になった知人女性にこう怒られた。うかつにも初めて知ったが、友人のボリビア人、日系人、フィリピン人などは影でちゃっかり行動を起こし、ボリビアの人口増加のために寄与していたのである。

これにも理由がある。アマゾンの小村は陸の孤島だった。チャコ戦争(パラグアイとの国境の石油資源を巡る戦争 1932~38)のときに作られた道路は熱帯雨林の中で草木に覆われ、消滅したような状況だった。週に一度は脱線する鉄道が頼りだった。

そのような土地では親戚が増える。血が濃い。だからよそ者の血が好まれる。村の男たちと比べると、よそ者の多くは高等教育を受けている。遺伝的にもきっと知的だ。教育こそが収入格差を呼ぶことは誰もが知っている。ボリビアの大学進学率(短大含む)は30%弱なのに、友人たちの血を引く子供たちは、奨学金をもらうなどして大学に進学していた。ある意味、女性たちのもくろみは成功したのである。

昔、日本の離島でもよそ者が女性に好まれたのと同じだ。江戸時代の作品「好色一代男(井原西鶴)」の主人公世之介は、海の彼方にあるという女だらけの女護島をめざして船出し、それきり消息が絶える。女護島とは外の血を欲している伊豆方面あたりの離島を暗示していたのであろう。


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電気がない

かつて夜は真っ暗闇だった。村の発電機は故障していることも多く、燃料節約の必要もあり、週末の夜だけ時間を制限して稼働していた。日本でも電灯の有無が出生率に強く係っていたようだ。『大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代(文春新書) 』(速水融、小嶋美代子著)には、こんな一節がある。抜粋してみる。

「明治43年に194.9万灯に過ぎなかった日本全国の電灯取付け数は、大正14年には2732.1万灯と約14倍に増えている。15年間にこれだけの増加をみせたのは、この時期だけである。電灯は庶民の「夜の生活」を変えた、といっていいだろう。電灯のもとで、人々は雑誌や書籍を読むこともできたし、夜なべ仕事も容易になった。大正期に始まる都市の出生率の低下は、電灯の普及と少なくとも時期的には一致している。都市では夜の娯楽が増え、農村に比べてそもそも低かった出生率は、さらに低くなった」

大正15年から合計特殊出生率は急減し、12年ほどで4を割り込んでいる。

男女の出会いは頻繁

日本で恋愛塾や恋愛セラピーを取材したとき、「出会いの場がない」、「恋愛に割く時間がない」という若者も多かった。

アマゾンの村の出会いの場所は、教会のミサ、サッカーの試合、誕生会などであった。電話もネットもないので人と人は直接会うしかない。村はさほど広くないのでどこにでも短い時間で歩いて行ける。

唯一のディスコティックも男女の出会いに大きな役割を果たしていた。吹き抜けの掘立小屋の土間を踊り場にして、壁の周囲に長椅子を置いて、大きなスピーカーをしつらえた、簡易の踊り場である。踊ると、土が舞った。周りでは、豚や鶏が我が物顔に歩いていた。少し離れた草地では、ロバが時折間抜けな声を上げている。週末の夜、村の女性たちがまるで六本木にでも行くかのようにおめかしをしてやってきた。入場料は1ドル。

夜10時、発電機は止まり、村は闇の帳に包まれる。外へ出ると夥しい星々が天空全体に銀色の美しい天の川をかけている。男女は暗闇の中、どこかへ消えていく。村には映画館もショッピングセンターもモーテルも何もない。一度、女性を家まで送ったことがある。軒下には彼女の従妹と妹と日系人などのカップル3組が闇の中でうごめいていた。平安時代の通い婚状況である。

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初対面の男女の挨拶は口づけ

村に赴任して最初に驚いたのは、世界一と思われる男女の距離の近さである。欧米では男女の挨拶は頬にキスをするのが一般的だろうが、ここでは口と口を合わせる。著者よりも先に赴任していたフィリピン人が、村の女性と出会ったときに「初対面から口と口なんだよ」と嬉しそうに言って実践した。江戸時代の日本はもっと男女の距離が近く、混浴だったことを思い出す。

12歳の少女と駆け落ち

早熟であることもアマゾンの女性の特徴だった。

あるとき、30代の女性が総務部に泣きながら相談にきた。

「夫が駆け落ちをしてどこに行ったか分からない。さがして下さい、お願いです」

調べてみると、彼女の旦那は工夫たちをまとめる親片で、仕事振りには定評のある真面目な男だった。都市からきて村に夫婦で下宿していた。相手の女性はなんと12歳だ。

「えぇー、あの娘が12歳、20ぐらいに見えとったよ」

職場の日系人が驚きの声をあげた。

日本だったら、三面記事を賑わし、男は刑務所行きかもしれない。無論ボリビアでも不純異性交遊にあたる法律はある。けれども、社会慣習としては男女の仲には寛容である。この場合も男がたぶらかしたというよりも、少女のほうが男をせっついた可能性の方が高い。恋心もあるだろうが、村にいたくないとか、親と喧嘩したから家を出たいとか、そんな理由もあったのかもしれない。

筆者も様々な男と浮名を流している14歳の少女に手を握られ、「どこかへ連れていて」と誘惑されたことがあった。相手にせずにいると、彼女は自分の男性遍歴を赤裸々に語った。

その時思い出したのは、ドストエフスキーの「悪霊」と夏目漱石の「心」だった。「悪霊」では主人公のスタヴローギンは関係をもった12歳の少女がクビを括って自殺したことで、罪の意識を持ち続け、その罪の意識をひとつの理由に自らも自殺する。「心」では親友の彼女を奪ったことで心に傷を負った主人公の先生は、明治天皇の崩御を契機に自殺する。しかし、このような文学的主題はアマゾンの村では普通成立し得ない。馬鹿げた行為として笑われるのがおちなのだ。


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婚外子は普通

前出のフィリピン人がこう言っていた。

「この村では女は男をバスケのボールに思っていて次々にパスするのさ」

中南米、とりわけカリブ海地域やアマゾンでは、10代の中頃から男女は無数の短い恋愛を繰り返す。村には10代でも夫の違う子供を2、3人かかえている娘が何人かいた。男性は単なるセックスの相手、子種のための存在だった。長男が家や土地を相続するとは限らない。母系制の影響が強い社会だった。子どもが生まれても必ずしも親が育てるわけではない。叔父叔母、祖父母、兄弟、あるいは親の親や名付け親の代父母が育てるかもしれない。高校生や大学生でも子供がいる女性はいるし、世間が目くじらを立てることもない。

もちろん、男のほうもそれをわきまえている。仲好くなった初老の保安官は一緒に飲むと筆者にこう諭したものだ。「恋人は5人いなきゃいけない。他の男にとられてもまだ4人、病気で死んでもまだ3人、1人が妊娠してもまだ2人残っている」

男は女性と関係し、妊娠したら逃げる。その後、他の男が連れ子のいる女性と結婚することになる。まさに、カッコーが行う托卵(たくらん:他の鳥の巣に卵を植え付け、育ててもらう)である。生物学的には、子孫を増やすには、最も効率的で狡猾な方法といえる。

このようにアマゾンでは男女は知り合うに易く、添い遂げるに難しかった。他に理由もある。夫や恋人がどこかに仕事を探しに行けば、戻ってくるかどうかの保証はない。当時の連絡手段といえば、人を介しての手紙だけだ。政治も経済も不安定で、自然条件も厳しい。生きているのか死んでいるのかも不明だ。明日は、限りなく儚く頼りない。諸行無常は、言わずもがなのことであった。

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日本の性愛/恋愛事情の今昔

日本で恋愛事情を取材しているとき、大学生の女性がこう言っていた。

「相手に大きな望みはないんです。でも、ニート、フリーター、派遣だけは避けたい」

非正規雇用の男性は、最初から恋愛・結婚市場から除外されている。ところが、正社員の男性は、仕事が多忙で、恋愛に割く時間もエネルギーも持ち合わせていない。そのうち恋愛も結婚も年とともに諦めてしまう。恋愛市場が歪な形になっている。だからなのか、性風俗店は世界でも図抜けて多い。

いつからだろうか?

昔の日本はこんな社会ではなかったはずだ。柳田国男のような官制の臭いが強い民俗史ではなく、赤松啓介のような在野の民俗学者が描いた日本社会には、明治、大正、昭和の庶民の性生活が描かれている。農村でも商店でも、夜這いの習慣が普通で、祭りなどでは乱交もあったようで、明るい農村というのはまさに公の言い草だが、その底に隠れているのは、明るく愉しい性生活の農村ということであった。かつて、日本の庶民にとっては、いかに多様で愉しい性生活を送るかが、第一の生存意義(レゾン・デートル)だった。アマゾンの小村とさほど変わりはなかったのである。

それが一言でいえば「遊びは勉強してからにしなさい!」という、明治以降の、西欧化、富国強兵、殖産興業、高度成長、そして教育勅語、修身、芸能スキャンダル雑誌を含むマスメディア、電気や携帯に代表される文明など、もろもろの影響もあってか、性の習俗も変わってしまった。

社会も時代も家族形態も違うのだから、アマゾンや過去の日本をそのまま見習うのは難しいが、若者が恋愛や結婚を諦めるような社会は何か尋常ではない。


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